ダイビングのタンク(シリンダー)の色と言えば何色でしょう?
ほとんどの方は「灰色」と答えますよね。
他の色を答えた方は、きっと海外でしかダイビングを行わない方ですね?
というのも、日本国内で高圧ガスの容器(=タンク)の色は、法律で定められており、空気が入ったタンクを灰色以外で塗ることは法令違反となります。
海外でもタンクの塗装に関する法令はありますが、灰色以外で塗ることが可能な国も存在するため、タンク=灰色、で無い人は、きっと海外でしかダイビングを行わない人だろう、と予想がつくわけです。
自社のタンクであることを示すために、タンクのバルブ付近を別の色で塗っている場合もありますが、日本国内では、内容物に応じて容器の半分以上を定められた色で塗装する必要があるため、大部分は灰色のはずです。
しかし、タンクの大部分を緑色と黄色で塗られたタンクを見たことがあるという方もいるでしょう。
緑色と黄色で塗られたタンクの中にはナイトロックス(エンリッチド・エア)が充填されています。
今回は、ナイトロックスについて、ご紹介していきたいと思います。
ナイトロックス(エンリッチド・エア)とは
国内の法令では、緑は炭酸ガス(ビールサーバーの脇にありますよね)、黄色は塩素ガスと定められています。
だからといって、炭素ガスと塩素ガスが混ざっているということではなく、あくまで半分以上の面積は灰色のはずなので、その他のガスということになります。
ナイトロックスとは、窒素の「Nitrogen」と酸素の「Oxygen」を組み合わせた造語で、つまり窒素と酸素の混合気体を表します。
さて、空気は何でできていたでしょうか?
様々な気体が含まれていますが、おおよそ窒素が8割、酸素が2割でしたよね。
つまり、空気もナイトロックスのひとつと言うことができます。
空気を指してナイトロックスと呼ぶことはあまりありませんが、レジャーダイビングでは普通、ナイトロックスというと酸素濃度が通常の21%よりも高いもので、40%以下の物を指すことが多いです。
酸素濃度が21~40%のものだけを指して、エンリッチド・エア・ナイトロックス、もしくはエンリッチド・エアと呼ばれることもあります。
表記する場合は、エンリッチド・エア・ナイトロックスの略としてEAN、酸素濃度を%を除いた数字で表し、EAN32などと表します。
最も一般的な物はEAN32とEAN36が挙げられますが、他にもEAN28やEAN30、EAN34など様々な酸素濃度の物が存在します。
話をテクニカルダイビングの世界まで広げると、酸素濃度が通常の21%よりも低いナイトロックスも存在します。
ナイトロックス(エンリッチド・エア)のメリット
減圧症予防
ナイトロックスの最も大きなメリットは、減圧症リスクを低減できることです。
通常の空気よりも酸素濃度が高いということは、相対的に窒素濃度が低いことになります。
この、窒素濃度が低いという点が重要です。
こちらの記事でご紹介した通り、減圧症の原因は窒素が身体に溶け込むことです。
そこで、窒素の濃度を下げることで一呼吸で吸い込む窒素の量を減らせば減圧症リスクを下げられるはずだ、と考えられたのがナイトロックスです。
窒素は生きていくのに必要のない気体なので、減らしても問題無いですからね。
ナイトロックスを使用して空気と同じように潜れば、当然減圧症リスクを下げることができます。
なお、ナイトロックスは酸素濃度が高いと説明されるため、酸素が減圧症リスクを下げていると勘違いされてしまうこともありますが、あくまでこのメリットを生み出しているのは窒素濃度の低さです。
通常では不可能なダイビング
ナイトロックスを使用して通常と同じように潜れば減圧症リスクを下げられるということは、逆に、リスクを通常と同等まで許容できるのであれば、通常よりも長い時間のダイビングや、通常よりも休憩時間の短いスケジュールを組むことが可能ということになります。
ナイトロックスを使うと減圧不要限界を伸ばすことができる、とメリットのひとつ目に挙げられることも多いですね。
減圧不要限界についてはこちらの記事でご説明しています。
ただ、リスクを通常と同等まで許容できるのであれば、とは言ったものの、ナイトロックスを使用して減圧不要限界ギリギリまでのダイビングを繰り返していると、逆に空気を使用した時よりもリスクを上げてしまう場合もあります。
なぜその様なことが起きるのかを説明しようとすると、非常に説明が長くなってしまうので割愛しますが、以下の記事を理解すると、その糸口が掴めることと思います。
とはいえ、減圧不要限界が伸びることもメリットと言えることは間違いないので、通常の空気で潜った時よりは少ないリスクで、かつ通常の空気で潜った場合よりも少しだけ長く潜る、中間あたりの計画を立てることが、ナイトロックスの最も上手な活用方法と言えるかもしれませんね。
尚、こちらも勘違いしてしまう方がいるのですが、ナイトロックスを使用すると通常よりも長い時間のダイビングを行うことが可能となりますが、最大水深は通常のダイビングよりも浅い水深に制限されます。
これについては、デメリットの部分でご説明したいと思います。
ダイビング後の疲労
これについては、科学的根拠があるとは言い切れません。
しかし、ナイトロックスを使用した人が口々に「疲れにくい」と言うことも事実です。
年配の方の中には「目のピント調節がいつもよりスムーズな気がする」という方もいます。
酸素濃度が高いために疲労感が軽減されるという研究結果もありますが、逆にその結果を否定する様な研究結果も存在します。
病は気から、とはよく言ったもので、実際に人間は、本来科学的に根拠のない薬を飲んでも、一定数の人が本当に治癒してしまうことが知られています。(プラセボ効果)
ナイトロックスを使用すると疲れづらいというのが、酸素の効果なのか、プラセボ効果なのか、実際のところはわかりませんが、メリットのひとつかもしれない、ということでご紹介しました。
ナイトロックス(エンリッチド・エア)のデメリット
最大水深
ナイトロックスを使用する大きなデメリットは、酸素濃度が高いことです。
そう、窒素濃度が低いことはメリットですが、酸素濃度が高いことはデメリットなのです。
なぜかというと、酸素は場合によっては毒になります。
その毒になる場合というのは、高圧の酸素を吸っている時です。
詳しくは以下の記事でご説明していますが、結論から言うと、酸素分圧が1.5気圧前後になると、酸素中毒を引き起こす可能性があります。(1.4~1.6気圧で影響が出はじめると言われています)
分圧についてはこちらの記事でご説明しています。
分圧の考え方から、酸素分圧が1.4気圧になる水深は、通常の空気であれば6.667気圧、つまり56.67mなので、空気で潜る場合には酸素中毒のことを気にする必要はありません。
しかし、最も一般的なEAN32では4.375気圧、33.75mなので、レジャーダイビングの最大水深である40mよりも少ない値となります。
これが、メリットの部分で「ナイトロックスを使用すると最大水深は通常のダイビングよりも浅い水深に制限されます。」と言った理由です。
ナイトロックスには酸素中毒のリスクがあることから、必ず正確な酸素濃度を測ってから使用し、最大水深を守る様にしましょう。
費用
特殊な気体であるナイトロックスは、通常のタンクよりも高額である場合が多いです。
高額と言っても、何倍もする、というわけではありませんが……。
費用がかかる分、メリットがあるので必ずしもデメリットとは言えませんが、念のためご紹介しておきます。
尚、近年はナイトロックスでも追加料金なし、という場合も増えてきています。
ナイトロックス(エンリッチド・エア)を使用するには?
ここまでご説明してきた通り、ナイトロックスにはメリットもあればデメリットもあります。
正しい知識を持って使用しなければ、場合によっては危険が伴うこともご理解頂けたでしょう。
各指導団体がナイトロックスを使用するためのカリキュラムを準備しているので、初めてナイトロックスを使用する際は必ず講習を受けてから使用しましょう。
また、ナイトロックスの準備が無いダイビングスポットもまだまだ多いため、ナイトロックスが使用できるかどうか、事前の確認も必要ですね。
ナイトロックス(エンリッチド・エア)で使用する器材
ダイブコンピューター
ナイトロックスは窒素濃度が空気とは異なるため、ダイブコンピューターの設定を変更する必要があります。
筆者が知る限り、ナイトロックス使用に非対応のダイブコンピューターは無いはずなので、取扱説明書を確認し、設定を変更して使用するようにしましょう。
尚、メリットの部分でご説明した通り、「ナイトロックスを使用して空気と同じように潜る」というのが最も減圧症リスクを下げられる潜り方です。
ダイブコンピューターは安価なものでは無いのでなかなか難しいかもしれませんが、可能であればナイトロックスに設定したダイブコンピューターと、空気のままの設定のダイブコンピューターを持ってダイビングを行うと良いでしょう。
そうすることで、「通常の空気で潜った時よりは少ないリスクで、かつ通常の空気で潜った場合よりも少しだけ長く潜る」ということをリアルタイムに判断できることと思います。
レギュレーター
酸素には助燃性と言って、物が燃えるのを助ける性質があります。
そのため、純酸素を扱う場合は火気厳禁が鉄則です。
ナイトロックスも、通常の空気よりも酸素濃度が高いため、理論的には燃えやすいという特徴があります。
レギュレーター内部に油分や炭素分、また、ゴミやレギュレーターから出た金属片などが存在すると、それが原因で発火してしまう可能性がゼロとは言い切れません。
そのため、ナイトロックスを使用する場合は、使用するレギュレーターがナイトロックスに対応しているか、確認する必要があります。(多くのレギュレーターは対応しています)
また、多くのメーカーではナイトロックスに対応しているものでも、空気との併用が禁止されています。
必ずカタログや取扱説明書を確認しましょう。
一方で、2024年現在、少なくともTUSAのほとんどのレギュレーターでは、ナイトロックスと空気を併用できることが明記されています。
メーカー側で燃焼試験を実施していないから、念のためやめておいてね、ということです。
逆に言うと、TUSAのほとんどのレギュレーターは、実際に燃焼試験を行ってます。
現実問題としては、空気とナイトロックスを併用しても、筆者個人的には問題ないと考えています。
しかし、メーカーが禁止している以上、本来はそれを守るべきで、この様な記事や講習においては「メーカーの指示に従う」とするのが正解だと思います。
一方で、空気とナイトロックスの併用が当たり前に行われている場合も多く、それについては個々人の判断で、としか言えません。
責任は負えませんが、特に気にしない、というのも悪くは無いでしょうし、リスク管理の甘さを問題視するのも正しいと思います。
リスクの考え方は人それぞれですし、誰かに強制されるべきものでもありません。
重要なのは、何も知らずにリスクに飛び込むことと、きちんと理解した上でリスクを取ることには雲泥の差があるということです。
ちなみに、ナイトロックスでの発火事故は筆者が知る限り聞いたことがありませんが、通常のレギュレーターで純酸素を使用して発火事故になったという事例は存在します。
おわりに
ナイトロックスは正しく利用すれば非常に有効なものです。
一方で、誤った知識や思い込みをしたまま利用すると、効果が半減するどころか、場合によっては危険を伴います。
ナイトロックスは2010年代頃から国内でも徐々に広まってきており、気軽に使用ができる環境が増えてきました。
ダイブコンピューターが登場した際、限界ギリギリまで潜る人が増えたことによって減圧症例が増加したと言われています。
ナイトロックスも、正しく使用すればリスクを低減できる一方で、誤った使い方をすると、逆にリスクを上げてしまうという点で、ダイブコンピューターに似ている部分があると思います。
ナイトロックスが一般的になることによって、正しい理解をしていない使用方法で減圧症例が増加してしまうことが無いとも言い切れません。
自身が危険にさらされないためにも、ナイトロックスを使用する際は、正しく理解して、常に控えめな使い方を心がけましょう。