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沖縄ダイビングエッセイ〜ミジュンの空〜

海のレポート

沖縄に居を構える水中写真家・上出俊作さんによる、海とダイビングにまつわるエッセイ連載をお届けします。

今回は、沖縄ではミジュンと呼ばれる魚・ミズンをめぐる撮影譚です。
ミジュンの群れを求める衝動、そして、ミジュンと溶け合う瞬間ーー。

沖縄に移住して10年、その月日も感じられるエピソードをどうぞ。

ミジュン

俺もミジュンを撮りたい。
久しぶりにあの群れに囲まれたい。
ベッドに寝転びぼんやり天井を眺めていると、突然そんな思いが込み上げてきた。

「砂辺に物凄い数のミジュンがいる」
近頃SNSを、そんな話題が賑わせていた。
なんとなく気になってはいたけれど、気になっているだけで、行こうという気にはならなかった。

行こうと思わなかった理由は、たぶん「遠いから」というだけだ。
北谷町砂辺、別名宮城海岸までは、名護市の自宅から車で1時間かかる。
普段東京から伊豆に通っている人、あるいは大阪から串本に通っている人からは怒られてしまいそうだが、沖縄県民にとって車で1時間は遠い。

那覇に住んでいる友人は、車で1時間半近くかかる名護に行くのは、もはや旅行だと言う。
それはちょっと言い過ぎでしょうとも思うけれど、そういうことなのだ。

僕にとっても砂辺という場所は、旅行とまでは言わないまでも、日常的に行くことのない完全アウェーの場所なのである。

「遠いし、まいっか」と思っていた僕の心も、皆がSNSに載せるミジュンの写真を見ているうちに、少しずつ変わっていったのだろう。せきたてられていったと言えるかもしれない。

その日、僕はたまたま朝4時に目を覚まし、PCモニターと向き合いながらフォトコンテストの審査をしたり、季節外れのサガリバナを見るために散歩したり、珍しく早朝から有意義な時間を過ごしていた。
早すぎる時間から動き始めたせいで、9時にもなるとさすがに眠くなってきて、ベッドに横になった。
するとどうしようもないくらいの強さで、ミジュンを撮りたいという思いが込み上げてきたのだ。

沖縄に住んでいるから撮れる写真がある。
俺が撮らなくて、誰がミジュンを撮るんだ?

そう思った。

だったらもっと早くそう思えよ、という気もするけれど、今更言っても仕方ない。
ミジュンがいなくなる前に、撮らなければならない。

数日前まで砂辺にミジュンがいたことは、SNSを見る限り間違いなさそうだった。
でも、今もいるのかわからない。砂辺のどこにいるのかもわからない。

早速何人かの友人に連絡してみた。
すると早速、みんなから返信が来た。

「浄水場の前から入ればいるよ!」「いた場所の地図を送りますね!」「明日一緒に行きましょうか?」「今日もいましたよ。スキンダイバーが目印です。」

沖縄に移住して10年目。
普段は「友達あんまりいないんで」なんて嘯いているけれど、自分にもちゃんと友達はいるのだ。
皆、とても優しかった。

砂辺

砂辺という場所は、沖縄移住後はあまり行くことはなかったけれど、実は思い出深い場所でもある。

2012年、僕は製薬会社の営業マンで、横浜の営業所で働いていた。
ダイビングを始めて4年目。なぜだか忘れたけれどダイブマスターになり、貯めたお金で憧れの一眼レフを買った。
仕事そっちのけで、ダイビングと水中写真に熱中していた。

それまでの人生で、自分が飽きっぽい性格だということには気づいていた。
長く続いた趣味もなければ、2年以上付き合った彼女もいない。
ダイビングも同じように、飽きてやめてしまうのは嫌だった。

サラリーマンをやりながらでも、インストラクターになって、周りの人たちに海の面白さを伝えることができれば、自分自身も飽きずにダイビングをつづけられるんじゃないか。
そう思って、インストラクター試験を受けることにした。

ダイビング指導団体であるPADIのインストラクター試験を受けるためには、IDC、すなわちインストラクター開発コースを受講しなければならない。

2012年のゴールデンウィーク、僕はIDCを受講するため沖縄本島に渡った。
受け入れてくれたのは、砂辺にあるセリシャスクラブだった。

一週間砂辺に泊まり込んで、朝から晩まで海のこと、安全管理のこと、人に伝えるということを学んだ。

担当してくれたのは、セリシャスクラブのオーナーインストラクターであり、コースディレクターの秋山さん。
初めてお会いした時の秋山さんは、茶髪のロン毛で、沖縄なのに皮のブーツを履いていて、ジーンズは100年分くらいのダメージを受けていて、ロックミュージシャンとサーファーの間のような出立ちだった。

正直に言って、那覇空港で会った瞬間「大丈夫かな?」と思ったけれど、結果的には、全然大丈夫だった。

とにかく熱い人で、ダイビングインストラクターという仕事に誇りと矜持を持っている人だった。
秋山さんにIDCを担当してもらえたから、その後のインストラクター試験もなんとかパスできたのだろう。

2012年のGWに撮影した宮城海岸。今ではこのポップなグラフィックもなくなってしまった。

砂辺に行くのはそれ以来というわけでもないけれど、そんなことを思い出しながら砂辺に向かった。
到着したのは午後2時。のんびり2本潜っても、日が暮れる前にはエキジットできる。

車を停めて、言われた通りに浄水場の前まで行ってみる。
するとやはり言われた通り、水面には数人のスキンダイバーがいた。
あの辺に行けば、ミジュンと出会えるはずだ。

車に戻りダイビング器材をセッティングしていると、自分の心が高鳴っていることに気づいた。
海に入る前にこんなにワクワクするのはいつ以来だろう。
いつから僕は、ワクワクしなくなってしまったのだろう。

はやる気持ちを抑えて、慎重に階段を下り、海に入る。
砂辺の中でも、ここは初めて潜るポイントだ。どんな景色が広がっているのだろう。

水中を除くと、景色よりも何よりも、緑色の水が飛び込んできた。
俺はうっかり葉山にやってきてしまったのか。そう錯覚するような海の色だった。

これはこれで面白い。透視度には、いや、海にはいいも悪いもないのだ。

全ての要素を作品づくりのスパイスにしてしまうのがプロ。
と言いたいところだけれど、普通に「おいおい」と思った。

干潮でエントリーしたのがいけなかったのだろうか。
透視度約5m。厳しい戦いになりそうな予感がした。

水面からちょこちょこ顔を出して、遠くのスキンダイバーをちらちら見ながら泳いで行くと、水中を漂う排泄物が目に入ってきた。
物凄い量の魚の糞だ。テンションが上がる。
もちろん普段は糞を見てテンションが上がるようなことはない。でも、今日は別だ。

もう少し先だと思っていたけれど、すでに目的地は間近なのかもしれない。
そしてもしかすると、群れの規模は、僕の想像以上なのかもしれない。

ウキウキしながら排泄物を掻き分けて進んで行くと、水中に暗い影が見えたように感じたのとほぼ同時に、無数の小魚の目が見えた。
それは壁のように、僕の前に立ちはだかっていた。

全てを忘れて群れの中に入りたい。そう思った。
数万匹のミジュンに揉みくちゃにされたかった。

でも、僕の理性がそうさせない。
これまで幾度となくミジュンを撮影してきた。

最も多く撮影したのは、本部町のゴリラチョップ。
僕にとっては、ミジュンと言えばゴリラチョップだった。

まだ夏の面影を残す太陽光が、ソーダのような水を通過し、真っ白な砂地に反射する。
そんなイメージを、ミジュンと一緒に切り取ってきた。

数年前、恩納村の万座でミジュンを撮影したこともあった。
ビーチからエントリーすると、突然水深40mを超えるドロップオフが現れる。
それはまさに万座のイメージそのもので、ゴツゴツとした岩と一緒にミジュンを切り取った。

では、砂辺のイメージとはなんだろう?
普段全然来ていないから、はっきり言ってよくわからない。
けれど、砂辺は僕が暮らしている沖縄本島北部の海とは、明らかに水中景観が違う。

何が違うのだろうか?
それはおそらく、サンゴの種類であろう。
北部の海の浅瀬の優生種は、ミドリイシをはじめとした造礁サンゴだ。
砂辺は違う。ここではソフトコーラルの仲間が浅場の覇権を握っていた。

水面付近で蠢くミジュンの群れの下をかいくぐりながら、ソフトコーラルと絡めて撮影できそうなところがないか探す。
近くにはスキンダイバーもスクーバダイバーもいるはずなのに、不思議と全く目に入らない。
透視度の悪さが、この世界を自分だけのものにしてくれているのだろう。

あてもなく泳いでいたにもかかわらず、気づけば僕は、ソフトコーラルの森の入口にいた。
ミジュンの群れの端の方が、中心から追い出されるように、森の上を行ったり来たりしている。

「ラッキー」と思った。これならソフトコーラルとミジュンを一緒に撮れそうだ。
こんなに簡単に、求めるシチュエーションと出会えるなんて。

早速撮影に取り掛かる。

たまたま今ラッキーなシチュエーションと出会えただけで、この状況がいつまで続くかわからない。
ミジュンたちは、5分後には沖に向かって泳ぎ去ってしまうかもしれない。
ネイチャーフォトに、「また後で」はないのだ。

ソフトコーラルとミジュンを一緒に撮ろうとすると、それが案外難しかった。
ソフトコーラルの色を出そうと思ってストロボを当てると、ミジュンに反射して白飛びする。
白飛びを避けようとしてストロボの光量を弱くすると、ソフトコーラルが暗くなり、コンブのように写る。
ソフトコーラルは光をしっとりと吸収し、ミジュンたちはまるで「お前の思い通りにはさせないよ」と抵抗しているかのように、頑なに光を反射していた。

こうなると撮影は一筋縄ではいかない。ストロボの調整にも限界がある。
あとは、距離を調整するしかなかった。
できるだけソフトコーラルに近づき、できるだけミジュンからは離れる。
といってもミジュンは好き勝手動いているので、実際にはミジュンが離れてくれるのを待つしかない。

そんな瞬間を狙って撮影しているうちに、自分がこの海に溶け込んでいくような心地よさが押し寄せてきた。
だんだんと距離感が掴めてくると、写真も徐々にイメージに近づいていった。
そこそこ撮れただろうと思った頃にはすでに潜水時間が1時間を超えていたので、1本目の撮影を切り上げ岸へ向かった。

2本目

1本目で「ソフトコーラルとミジュン」という課題はこなせた。
誰から課されたわけでもないけれど、なんとなく撮らなければいけない気がしていた。
課題に向かって、それを乗り越えていくのはやりがいがある。

でも、本音を言えば、僕はやっぱりミジュンの群れの中でもっと無邪気に撮影したかった。
群れに突っ込みたいわけではないけれど、群れに揉みくちゃにされたい。

群れの中に入ってじっと息をひそめ、ミジュンたちが僕の存在を忘れ、群れと僕との境界線がなくなる。
それが理想だった。
2本目はそんなダイビングをしようと思った。

午後4時。
日没の遅い沖縄でも、10月末の4時ともなれば太陽はだいぶ傾いている。
雲間から見え隠れする太陽の方角に向かっていくと、群れは全く同じ場所にいた。

ミジュンたちを驚かせないように、そっと群れの下に潜り込んでみる。
宮城海岸を赤く染め始めた光は数万の小魚たちによって完全に遮られ、そこにはすでに夜の世界が訪れている。
ここでずっと息を止めていられたら、どんなに素敵だろうか。
闇の中でときおり輝く小魚たちの蠢きをただ眺めていられたら、どんなに幸せだろうか。

そう思うが、永遠に息を止めていることはできない。
諦めて水面に向かって静かに息を吐くと、ミジュンたちはさーっと泡を避けて、群れにぽっかりと穴が開いた。
穴を通して見えた空がなんだかやけに青くて、自分がどこにいるのかわからなくなるような、不思議な感覚があった。

やはり僕の周りにダイバーはいなかった。
自分以外にも何人かエントリーしていく人を見たのに不思議だ。

僕は空と海の間を漂うように、群れから離れたり近づいたりしながら、ただただ気持ちよく撮影した。
するとやはり、潜水時間は1時間を超えていた。

日が暮れる前に砂辺を出発しよう。そう思って海からエキジットした。

僕は器材の片づけを終えるとすぐ、砂辺のマックスエアーに向かった。
借りていたシリンダーを返却し、会員カードを受け取る。
そのまま帰ろうとすると、スタッフの方が「上出さんって、陽だまりスタジオの上出さんですよね?」と声を掛けてくれた。

そういえばこれは、沖縄に移住してきた時に作った会員カードだ。
あの時はまだ写真家ではなかったし、当然陽だまりスタジオなんて屋号もなかった。

「ああ、もうすぐ10年が経つんだな」と思った。
10年という数字に特別な意味はないけれど、自分なりに、この島で必死に生きてきた証なのかもしれない。
沖縄で大切な仲間もできて、人生をかけたいと思える仕事とも出会えた。

今日、砂辺に来てよかった。

心の中でそう呟きながら、残照に染まる空を背に帰路についた。

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上出俊作

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水中写真家。 1986年東京都生まれ。 名護市を拠点に「水中の日常を丁寧に」というテーマで、沖縄の海を中心に日本各地の水中を撮影。 被写体とじっくり向き合う...

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