沖縄ダイビングエッセイ〜伊平屋島の想像を超えるサンゴの森で自然について思ったこと〜
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沖縄に居を構える水中写真家・上出俊作さんによる、海とダイビングにまつわるエッセイをお届けします。
今回、上出さんが向かったのは、伊平屋島(いへやじま)。
沖縄本島の北に位置し、沖縄本島北部・今帰仁村にある運天港からフェリーで約80分のところにある離島です。
はじめて訪れた伊平屋島には、圧倒的なサンゴの森が広がっていました。
現地のガイドさんによると、ここは十数年前、サンゴがほぼなくなってしまったことがあるそうです。
月日を経て再生したサンゴを目の当たりにした時、上出さんが思い至ったサンゴの被写体としての本質的な魅力とは?
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サンゴが生きているーー、そう思った。
今この瞬間に、どんどんと育っているようだった。
朝日がもたらす栄養を、少しも余さず吸収しているようだった。
まるで肉食動物が互いの縄張りを奪い合うように、力強く、貪欲に生きている。
目の前の光景は、サンゴが生と死を持つ動物であることを、これまでに見聞きしたどんな解説よりも明確に物語っていた。
悠久の歴史の中で、繫栄と衰退、そして再生を繰り返してきたのだろう。
この場所も、以前は全く違う様子だったに違いない。
おそらく20年前には、今とは色も形も違うサンゴたちが群生していたのではないだろうか。10年前には、あるいはこの場所でサンゴを見ることはできなかったかもしれない。
僕は今、たまたまこの光景を目にしている。
10年後この場所がどうなっているか、誰にも予想はできない。
僕たちはただ、変化し続ける過程の一瞬を見ているにすぎないのだ。
未来のことはわからない。
その瞬間、その景色に出会ったことが、必然なのか偶然なのかもわからない。
でも、ひとつ確かなことがある。
それは、目の前の光景が、僕の心を揺さぶっているということ。
サンゴが支配する朝は、無条件に美しかった。
僕はその空間に、心も体も溶け込ませたいと思った。
島に来て3日目。
少しずつ、自分がこの海にフィットしてきているような気もしている。
息を深く吸い込み、丁寧にファインダーを覗く。
太陽に向かって手を伸ばすサンゴたちが、目の前に迫ってくる。
フィルムカメラで撮影するように大事にシャッターを切ると、そこには伊平屋島の「今」が写し出されていた。
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伊平屋島へ
初めての島に行くのは、いつも緊張でドキドキする。
ワクワクしてしょうがない人も多いだろうが、僕は根っからの心配性である。
水中はどんな感じなんだろう……
ガイドさんとうまくコミュニケーションがとれるかな……
その海の魅力を自分なりに切り取れるかな……
行けばどうにかなることは頭ではわかっているのに、自分の中のどこかが楽観的になることを許してくれない。心配するために心配しているような感じだ。
普段はそれらの不安に加えて海況とお天気も心配するところだが、今回、その点は恵まれている。
一週間前に梅雨が明けた。
それから毎日晴れていて、もうしばらくは晴れが続く予報になっている。
例年だとこの時期、夏至夏風(カーチベー)と呼ばれる強い南風が吹く。
しかし今年は、一日も吹いていない。そのおかげで、海況も安定している。
伊平屋島へ向かうフェリーは、30分ほど前に沖縄本島北部の運天港を出発した。
柔らかい南西の風に乗って、北へ進んでいく。
甲板へ出て前方を眺めると、伊平屋島と、その手前にあるはずの伊是名島が見えた。どっちがどっちかいまいちよくわからないが、建物も朧げに見えている。
おそらく、建物が見えている方が伊是名島なのだろう。
泳いで行けそうな近さにも見えるが、まだ半分も来ていないことを考えると、どう考えても泳げる距離ではない。
お昼過ぎに伊平屋島の港に着くと、沖縄本島から運んできた車に乗ってダイビングショップJINへ向かった。途中、ドライブがてら島の景色を楽しもうと思っていたが、大潮の干潮でどこも干上がっている。
海を眺めているというより、潮干狩りをしている島の人たちを見ているという趣だ。
ショップに到着して運転席から顔を出すと、お店のテラスで愛想よく笑い、手を振ってくれているおじさんがいた。
優しそうなオーナーで良かった。これで、心配事がひとつ減った。
ダイビングショップJINのオーナー譜久村仁助さんとは、数回電話でやり取りしただけだった。
口頭では「上出(かみで)」という苗字は伝わりにくい。
居酒屋を予約しても、「カミジ」とか何とか、間違った予約名になっていることもたまにある。
だからというわけでもないが、最初にきちんと挨拶をしようと思い、テラスに上がるやいなや名刺を差し出した。
するとおじさんは、僕から少しだけ目をそらしてこう言ったのだ。
「僕はオーナーじゃないですから~」
この展開は予想していなかった。事前にホームページでチェックした情報によると、オーナー以外におじさんはいないはず。
意表を突かないで欲しい。
「ではあなたは誰なんですか?」なんて野暮なことは聞かなかったけれど、その後の会話の中で、この方はイトウさんといって、ショップのお手伝いをしている方だということがわかった。
確かに言われてみれば島の人っぽくないし、言葉も関東と関西の間くらいのイントネーションだ。
ちなみに、伊平屋島に滞在した3日間、イトウさんには助けられっぱなしだった。イトウさんの優しさとユーモアには、今でも感謝している。
さて、肝心のオーナー、JINの仁助さんが道の向こうからお店のテラスにやってきた。
なんとも頼もしそうな、島の漁師然とした風貌。とはいえ猛々しい感じはなく、優しそうな印象だ。
早速、これから潜るポイントについて相談してみる。
せっかく伊平屋島に来たんだから、やっぱりサンゴを撮りたい。
そもそも今回は、水中写真を教えている生徒さんから「伊平屋島のサンゴを撮りたい!」というリクエストを受けて、ツアーを組んできたのだ。
伊平屋島は、沖縄好きの、そしてサンゴ好きのダイバーにとって、最後の秘境。
僕の友人はそう言っていた。
「サンゴが撮れそうなポイントはいくつかあるんですか?」
仁助さんにそう聞いてみた。
「ここにはサンゴしかないよ?」
仁助さんは、冗談めかしたようにそう答えてくれた。
その言葉がどれほど謙虚に、そして的確に伊平屋島の海を表現しているか。
僕たちは一本、また一本と伊平屋島の海に潜っていくごとに、その意味を理解していったのである。
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サンゴの森
夕方、ポイントに着くころには、朝から吹き続けていた弱い南西風もやんでいた。
凪だ。それも、この夏初めての、極上の油凪。
船の上からも、水中の地形が手に取るようにわかる。
水中に入るのが少し怖かった。
なぜなら、サンゴへの期待値が大きかったからだ。
「思ったほどじゃなかったらどうしよう…」
正直、そんな思いが胸に広がっていた。
母譲りの心配性が憎いが、これまでそうやって生きてきたのだから仕方ない。
エントリーして、岸の方に向かって泳いで行く。
サンゴの密度が、少しずつ高くなっていく。
50mほど進んだところで、体の動きが自然と止まっていた。
仁助さんの言うとおりだ。
目の前に広がっているのは、どこまでも続く、サンゴの森。
「わー!すげー!」
そんな原始的な言葉しか出てこなかったのが恥ずかしい。
でも、思わず独り言を言ってしまうくらい、そして、余計な言葉で飾るのが失礼なくらい、圧倒的だったのだ。
伊平屋島の海は、僕のちんけな心配を、豪快なカウンターで吹き飛ばしてくれた。
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今思えば、あの時は熱に浮かされたように、シャッターを切り続けていたように思う。
はっきり言って、自分の想像をはるかに超えていた。
この景色も撮りたい、けどあっちも撮らなきゃ。
ここはもう撮ったけど、逆からも撮りたい。
そんなことを考えているうちに、あっという間に1時間が過ぎてしまった。
そろそろみんな船に戻っている頃だろうか。
水面から顔を上げ、船の方に目を向ける。
西日が眩しく、はっきりとは見えない。
でも、みんなが笑っている顔が見えた気がした。
この島に来て良かったと、心から思った。
ボートに向かって泳ぎ出すと、また撮りたい景色が現れてしまう。
もっと撮りたいけど、キリがない。
これを今日の最後のカットにしよう。
ファインダーから溢れる光の束に、僕は身震いをした。
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伊平屋島のイソバナ
2日目以降、どのポイントを潜っても圧倒されっぱなしだった。
他のサンゴポイントもエース級揃いで、まるで黄金時代の西武ライオンズのようだったが、驚いたのは、サンゴがメインではないポイントのサンゴ。
ドロップオフで大物を狙おうが、砂地の根に群れる小魚を狙おうが、水中に入るとまず、岩場を覆うサンゴの群生が出迎えてくれるのだ。
特に、「イソバナ」というポイントは圧巻だった。
なんと、テトラポットさえもがサンゴたちの住処になっていた。
ここで暮らすサンゴたちは、これまでの住処を追われた弱者なのか。
あるいは、勢力を拡大しようとする強者なのか。
どちらでもなくただの成り行きなのかもしれないが、いつかこのテトラポットがサンゴで覆われて見えなくなってしまったら面白いな、なんて思った。
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ちなみに、ついでのように言うことでもないのだが、ポイント名が「イソバナ」というだけあって、イソバナの群生も凄まじかった。
大きなイソバナ自体は沖縄のいたる所で見ることができるが、この折り重なり方は尋常じゃない。
どうやってこのような造形になったんだろう。
イソバナもサンゴと同様、それぞれが陣地を取り合っているのだろうか。
この海は、僕たちに色々なことを想像させてくれる。
イソバナもサンゴも、その生育には潮の流れが大きく関わっている。
どちらも潮通しがいい場所の方が生育に適しているというのが、一般的な考えだ。
仁助さんの話によると、伊平屋島周辺は水路も多く、潮通しがいいのだそう。
確かに、計7本潜ったが、「全く流れていない」というダイビングは1本もなかった。
色々な要素が複雑に絡み合っているはずだが、潮通しの良さがこの島の特徴を形作っているのだろう。
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目前の刹那
仁助さんからは、たくさんの伊平屋島の海に関わる話を聞かせてもらった。
特に印象的だったのは、やはりサンゴに関する話だ。
「これほど見事な伊平屋島のサンゴも、実は毎年、台風である程度は折れている。しかしそれは全くもって、心配すべきことではない。
サンゴは折れても、海に正常な流れがあれば自然に再生していく。それは、人間の身体が正常なら、できた傷も徐々に癒えていくということに近い。
台風にも、藻を洗い流してくれたり、水温を正常に戻したり、という役割がある。そこに多少の犠牲はつきものであり、それが自然の過程の一つである以上、従えばいいことだ」
ダイビングガイドとして、そして海人として伊平屋島の海を数十年見続けてきた仁助さんの話には、言葉以上の説得力があった。
僕たちはともすれば、その時目の前に広がる光景を見て、物事がいい方向に向かっているのか、あるいは逆なのかを判断してしまう。
そして、よかれと思って、自然に対して介入していくことも多い。
もちろん、早急に対処しなければならない課題もあるのだろう。
しかし、あくまで僕たちは始まりも終わりもない過程の中の「今」をたまたま見ているだけだ。
そこには良いも悪いもなく、ただサイクルがあるだけかもしれない。
伊平屋島のサンゴは十数年前、オニヒトデの大量発生の影響などで壊滅的な被害を受け、島の周りからサンゴがほぼなくなってしまったらしい。
色々な対策を行ったが、なかなか効果は上がらなかったようだ。
しかし、伊平屋島のサンゴはいつの間にか復活し始め、現在では見事なまでに再生している。
それだけをもって「自然は放っておけば元に戻る」と言いたいわけではない。
大雨の度に起こる赤土の海への流入や、オーバーツーリズムなど、沖縄が抱える課題。
地球温暖化やマイクロプラスチックによる海洋汚染など、世界規模での解決が求められる課題。
これらは、放っておいていい問題ではないだろう。
危機感をもって動いている方々がたくさんいるし、すでに一定の効果も上がっている。
一方で、ある場所のサンゴが増えたか減ったかということについては、一人の水中写真家としては、一喜一憂すべきではないという思いもある。
もしも、モリモリのサンゴが1年後も10年後も目の前に広がっているとしたら、僕はここまで必死に撮影するのだろうか?
「もう見られないかもしれない」という思いが、撮影に向かう衝動を駆り立てているようにも感じるのだ。
見た目の美しさもさることながら、その刹那的な本質こそが、被写体としてのサンゴの魅力なのかもしれない。
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その先へ
伊平屋島の水中で見てきた色とりどりの景色。
陸上で交わしたサンゴにまつわる様々な話。
自分にとって宝物となった2日間の経験を思い出しながら、最終日の早朝、海に入った。エントリーした瞬間に、待ってましたと言わんばかりにサンゴたちが出迎えてくれる。
もちろん、サンゴは僕たちのことなんて待っていないのだけど。
しばらく船の周りを撮影してから、遠くに見える露出岩に向けて泳いで行った。徐々にサンゴが減り、岩肌が見えてくる。
ちょっと寂しい光景だ。
でも僕は、泳ぐことをやめられなかった。
もしかしたらあの先に、見たことないような光景が広がっているかもしれない。
もっと綺麗なサンゴが待っているかもしれない。
抑えきれない好奇心に任せて、その朝は、行けるところまで行ってみることにした。
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