キヘリキンチャクダイ【ダイビング生物情報】~キンチャクダイそっくりでもなかなか見られない魚~
暖流の影響のあるエリアで潜るダイバーにとってキンチャクダイは、いつでも目にすることができる魚として認識されているでしょう。
しかし、キンチャクダイの近縁種とされるキヘリキンチャクダイは、ほとんど認識されず、その存在すら気が付いてもらっていないかもしれません。
どこにいるのかも不明と言った方が良い、謎に包まれた種なのです。
今回はそんなキヘリキンチャクダイについて、播磨先生に解説していただきます。
キヘリキンチャクダイDATA
標準和名:キヘリキンチャクダイ
学名:Chaetodontoplus melanosoma (Bleeker, 1853)
分類学的位置:スズキ目キンチャクダイ科キンチャクダイ属
種同定法:D ⅩⅢ,17~18;A Ⅲ,18
分布:岩礁域.伊豆大島(幼魚),伊豆半島東岸・西岸,和歌山県紀伊南・串本,高知県柏島,トカラ列島;台湾,南シナ海,フィリピン諸島,インドネシア(スラウェシ島以東を除く)
(本記事では、『日本産魚類検索』に従った)
キヘリキンチャクダイの識別方法:
キヘリキンチャクダイの識別では、キンチャクダイ属の中で、キンチャクダイ(Chaetodontoplus septentrionalis)とアカネキンチャクダイ(Chaetodontoplus chrysocephalusの分布地域が重複する。
キンチャクダイ成魚との識別については、キンチャクダイの解説で述べた通り、キンチャクダイの成魚には体側全体にあおいろタテジマがあり、一方でキヘリキンチャクダイやアカネキンチャクダイの成魚は体側にあおいろタテジマがないか、あっても主に前半部のみである。
本稿では、キヘリキンチャクダイとアカネキンチャクダイの成魚の識別について書いていきたい。
キヘリキンチャクダイの成魚
①眼の後方に斑紋がない
②喉部から胸部は暗色
アカネキンチャクダイの成魚
①眼の後方に斑紋がある。
②喉部から胸部は黄~黄褐色
2013年3月に発行された『日本産魚類検索 全種の同定 第三版』によると、アカネキンチャクダイの幼魚は発見されていないとされている。
しかし、神奈川県立生命の星・地球博物館「魚類写真資料データベース」の資料上に、アカネキンチャクダイの中でキンチャクダイに近い模様タイプの幼魚と言われている個体をアクアリストが水槽飼育で成長させた例が載っている。
また、自然界で撮影された、このタイプの幼魚と思われる物も「魚類写真資料データベース」には掲載されている。
ただし、資料として十分と言える段階でなく、アカネキンチャクダイ中のキヘリキンチャクダイに近いタイプの幼魚情報が未発見なので、『日本産魚類検索』に従い、アカネキンチャクダイの幼魚情報は未確定、とさせていただく。
『日本産魚類検索 全種の同定 第三版(東海大学出版会)』では、「アカネキンチャクダイはキンチャクダイとキヘリキンチャクダイの交雑種であることが強く示唆されている」としながらも、無効種扱いにはなっていない。
確定的な生態行動の観察、または、DNA研究などが行われていないことから、この見解と見られる。
標準和名の由来は、江ノ島での呼び名を採用したキンチャクダイという属名に、海外個体群では本種背鰭(ビレ)後方から尾鰭先端、臀鰭後方部にきいろの帯状模様があるので、これをとって種名にしたと思われる。
現在、下記2事例からきいろの帯状模様は、本種の識別法としては妥当でない。
●日本産では、尾鰭基部まで、きいろの個体がキヘリキンチャクダイでも確認されている。
●キンチャクダイ属同属の海外種で、同様の特徴を有する物が見つかっている。
英名は、ブラックベルベット・エンゼルフィッシュ(Black-velvet angelfish)と言うと聞く。
東南アジアの限られた地域に分布しているのだが、筆者は現地ダイブサイトでの会話でこの名称を聞いたことがない。
この名称を使用するのは、アクアリスト(海水魚飼育愛好家)の間での会話であろうと思われる。
アクアリストの間では、尾鰭基部まできいろのバリェーションをイエローテールと呼び、台湾産が流通の中心のため、珍重する傾向にある。
海外では、本種と分布が重なる物でとてもよく似たキンチャクダイ同属種があるので、注意が必要になる。
フィリピンに生息するブルースポテッド・エンゼルフィッシュ(Chaetodontoplus caeruleopunctatus Yasuda et Tominaga, 1976:ホシゾラヤッコと言う和名で呼ばれているが、日本産は発見されていないので標準和名ではない)「魚類写真資料データベース」(KPM-NR 45536 KPM-NR 89000)と、仮称)オボロキンチャクダイ(Chaetodontoplus dimidiatus (Bleeker, 1853)「魚類写真資料データベース」KPM-NR 55233 KPM-NR 89001)の2種の同属種が知られている。
※仮称)オボロキンチャクダイは該当する英名がないため、アクアリストの流通名を仮称として表記した。
インドネシア東部やパプアニューギニアには、ヴァンデルルース・エンゼルフィッシュ(または、バンダーロース・エンジェルフィッシュ)と呼ばれる、Chaetodontoplus vanderloosi Allen & Steene, 2004という種が確認されている。(本稿では、ヴァンデルルース・エンゼルフィッシュに統一して書く)
本種はキヘリキンチャクダイと非常に似通っている。
しかし、体色に差異がある点と、生息地の違いで分類上で分けられている。
ヴァンデルルース・エンゼルフィッシュの画像については「マリンアクアリストNo.83」P24や、下記のページを参照してほしい。
Chaetodontoplus vanderloosi Allen & Steene, 2004 Vanderloos angelfish
昨今の世界的な分類学では、種を細分化する傾向がある。
筆者としては上記の近縁種も含めてキンチャクダイ属の分類は細分化され過ぎているのではないかと考えている。
生態学の立場からすると、地理的分離だけでなく、生態研究やDNAなど多方面から研究をされる将来が来ることを望んでいる。
ダイバーのための絵合わせ
日本国内でキンチャクダイの仲間を見つけた場合は、ほとんどがキンチャクダイで、本種に会うのは稀である。
近年、成魚は伊豆半島や房総半島でも見つかっているが、その情報量は極端に少ない。
キンチャクダイの体型で、あおの線が乱れたタテジマ模様が体全体にない物がいたら、要注意である。
本種キヘリキンチャクダイか、アカネキンチャクダイである。
そこに違和感を感じたら撮影をするとよい。
エキジット後、図鑑を使って絵合わせして確定する事をお勧めする。
キヘリキンチャクダイの幼魚は、成魚よりも遭遇率が高いので、より注意が必要である。
尾鰭に1本、黒色横帯があることで区別してほしい。
参考になる動画がYouTubeに公開されていた。
キヘリキンチャクダイの幼魚の方が、キンチャクダイの幼魚より、若干潮の通りが良い場所を好む様である。
その様な環境で発見した時は要注意である。
また、海外では近縁種でとても似通った別種がいるので、気をつけていただきたい。
筆者もインドネシア東部のラジャアンパットで、キヘリキンチャクダイらしき魚影を見た事があるが、本種なのか、ヴァンデルルース・エンゼルフィッシュなのか、識別できなかった。
キヘリキンチャクダイの観察方法
筆者は国内では、伊豆の大瀬崎で、一回だけ成魚を観察したことがある。
海外では、インドネシア東部のラジャアンパットで、本種なのか、ヴァンデルルース・エンゼルフィッシュなのか識別できない物を一か所で数個体確認している。
幼魚の情報は、伊豆大島ダイビングセンター代表有馬氏から聞いた情報を記載する。
観察時期
成魚は、伊豆半島や紀伊半島では、9〜10月に集中して観察されている様である。
幼魚は、9月から2月まで観察されている記録がある。
ラジャアンパットで見た識別不能の個体は、現地が潜れるシーズン中はずっと見られた。
季節風の影響で、6月から10月位まで潜水できないので、一年中観察できるのかは不明である。
生息場所
キヘリキンチャクダイの成魚はキンチャクダイ同様、内湾性の環境を好む可能性がある。
内湾性の環境には泥底から転石帯・岩場まであるが、キンチャクダイより潮の通りが良く、若干、深い水深に分布している様である。
幼魚について、キンチャクダイの幼魚は水深5m以深から見つかるが、キヘリキンチャクダイの幼魚は、それより深い水深18m以深から見つかるという。
インドネシア東部のラジャアンパットで、本種なのか、ヴァンデルルース・エンゼルフィッシュなのか識別できない個体群は、礁湖(しょうこ・ラグーン)の外礁をつなぐチャネルの礁湖外側のみで観察された。
この事から、成育環境に差異がある可能性がある。
生態行動
キヘリキンチャクダイの生態は、何も解明されていない。
今回は、海洋生物の生態研究を目指す人へ向けて、現在の少ない情報から、筆者が想定している生態行動を書きたいと思う。
キヘリキンチャクダイは日本国内でのダイビング中の成魚の観察例が極端に少なく、キンチャクダイより少し深い場所や、深場に隣接する場所で、限られたシーズンで見つかっている。
この事から、何らかの条件により、偶然に観察されている可能性がある。
まず、本来はもっと深い水深で成育している可能性が想定できる。
確認するためには、テクニカルダイビングの中でも大深度に潜水する技術を身に着けた、研究を目的としたダイバーが登場する必要がある。
日本はおろか、世界的に見ても、未だその手のダイビングまで行う研究者は登場していない。
日本では、この分野の研究は底引き網や刺し網にて採集した生物を中心に行われてきた。
そのため、これらの漁具を使用できない岩礁域は、未開の地になっている。
通常のスキューバダイビングで訪れる事が可能な水深40mより深い水深から大陸棚上の岩礁帯の調査は、美ら海水族館などが無人潜水機を使って調査を始めているが、機械では採集が不可能な生物がいる事は間違いない。
テクニカルダイビングの技術を研究に用いることを目指す青年・少年が現れて欲しい物である。
その様な世界を目指すなら、専門学校ではなく、是非専門の大学への進学を目指してほしい。
また、深く潜るのには精神面のトレーニングも不可欠である。
水泳などのスポーツを通して、心と体の鍛錬も必要である。
キヘリキンチャクダイは、性変換をするだろう。
キンチャクダイ科全体の特徴として、未成熟→メス型→オス型という性変換を行うので、キヘリキンチャクダイも同様の成長が想定される。
ハーレムによる繁殖行動か、ペアでの繁殖行動なのかということも興味深い。
キヘリキンチャクダイとキンチャクダイとのハイブリットと示唆されている、アカネキンチャクダイの観察数が、イシダイとイシガキダイなど他のハイブリット種の観察数よりも格段に多い事から、キヘリキンチャクダイとキンチャクダイの繁殖行動には、似通った点が多くあるだろう考えられる。
残念ながら、キンチャクダイですら性変換や繁殖の生活史の仕組みは、完全には解明されていない。
またまだ、海の中には、解らない事がたくさんゴロゴロしている。
考えただけで、ワクワクしてしまう。
食味
食味に対しての情報はない。
観察方法
見られるだけで、貴重な瞬間であろう。
筆者ですら見つけた瞬間は、水中で大声の歓喜を上げてしまった。
同行のダイバーは、その後の鬼気迫る筆者の動きに、何かは解らないが、相当に珍しい生物だと気が付いたそうである。
長く水中を観察し続けないと会えない生き物であると考えてほしい。
観察の注意点
筆者も初めて見つけた際には、嬉しさの余り殺気を出したようである。
一回目の発見時は、人工漁礁に隠れてしまった。
二回目は、発見時には撮影を行うことが出来なかったので、一度陸上で十分に頭を冷やし、落ち着いて撮影に望むことで、撮影に成功した。
次のダイビングで確認と撮影をおこなった。
その際には、キンチャクダイと変わらない泳ぎ方、餌を探す行動などを見る事ができた。
珍しい生物を観察する際に一番気を付けるべきことは、平常心を保つ事である。
いつまでも同じ場所に居てくれるとは限らない。
発見後に再度確認する場合は、できるだけ早く同じ場所に戻る必要がある。
そうなると、減圧症に対して十分な配慮が必要である。
見つけた場所がそれなりに深い場合(今回の場合は水深18m)は、同じ日に同じ場所に行くことは、細心の注意が必要である。
こんな時は、ナイトロックスを用いたダイビングをするのも、一つの方法である。
ナイトロックスの使用にはスペシャルティが必要なので、いつ使うかは別として、スペシャルティ講習を受けていれば選択の幅が広がる事は、間違いない。
観察ができるダイビングポイント
過去に見つかっている場所を挙げる。
筆者は、大瀬崎湾内で一度だけしか発見していない。
「魚類写真資料データベース」、スクモンの新機能「生物探し」を中心に、ネット上の情報で生態写真で確実な物をまとめた。
キヘリキンチャクダイの情報は、十分とは言えない。
もし、これらの情報以外の場所で撮影した生態写真をお持ちの方は「魚類写真資料データベース」に登録をお願いしたい。
ちなみに、スクーバモンスターズの「生物探し」には、キヘリキンチャクダイの情報は残念ながらない。(2022年4月21日現在)
成魚の情報
- 房総半島
- 伊豆半島東岸
- 伊豆半島西岸
- 大瀬崎
- 井田
- 田子
- 紀伊半島
- 串本
- 四国
- 高知県柏島
- 九州
- 鹿児島
- フィリピン共和国ルソン島南部アニラオ
幼魚の情報
- 房総半島
- 伊豆大島
- 伊豆半島西岸
- 大瀬崎
- 井田
- 雲見
- 紀伊半島
- 串本
- インドネシア共和国(場所不明)
生態を撮影するには
キヘリキンチャクダイは、彼らが警戒を解いてくれれば、よく泳ぐ魚の中では比較的撮影が容易魚である。
警戒していなければ、オートフォーカスで十分に撮影できるだろう。
発見場所によっては、ピンボケでも、被写体ブレでも、ストロボの光りが当たっていなくて青カブリの映像でも、貴重な情報になりえる。
そんな貴重な瞬間なので、問題は撮影側が落ち着く事。
これが一番大事である。
成魚は、35mm換算で28mm程度が最も使いやすいだろう。
幼魚や性変換中の個体は、35mm換算で、80〜105mm程度のマクロ機能が優れたレンズ・カメラの組み合わせを選ぶとよい。
参考文献
- 『日本産魚類検索 全種の同定』(著者:中坊徹次、発行:東海大学出版会、発行年:2013年第3版)
- 『日本産魚名大辞典』(編集:日本魚類学会、発行:三省堂、発行年:1981年)
- 『日本の海水魚』(著者:大方洋二・小林安雅・矢野維幾・岡田孝夫・田口哲・吉野雄輔、編集:岡村収・尼岡邦夫、発行:山と渓谷社、発行年:1997年第3版)
- 『新版魚の分類の図鑑』(著者:上野 輝弥・坂本 一男、発行:東海大学出版会、発行年:2005年新版)
- 『新版 日本のハゼ』(解説:鈴木寿之・渋川浩一、写真:矢野維幾、監修:瀬能宏、発行:平凡社、発行年:2004年)
- 神奈川県立生命の星・地球博物館「魚類写真資料データベース」
- Chaetodontoplus vanderloosi, A new species of angelfish (Pomacanthidae) from Papua New Guinea Gerald R. Allen1 and Roger C. Steene2(※PDF)
- Chaetodontoplus vanderloosi Allen & Steene, 2004 Vanderloos angelfish
- 『マリンアクアリスト NO.83』(発行:エムピー・ジェー、発行年:2017年)
- キヘリキンチャクダイ @伊豆大島ダイビングセンター(YouTube)
- キヘリキンチャクダイ|Scuba Monsters 生物探し
- 『デジタルカメラによる 水中撮影テクニック』(著者:峯水亮、発行:誠文堂新光社、発行年:2013年)
- 『うまく撮るコツをズバリ教える 水中写真 虎の巻』(著者:白鳥岳朋、発行:マリン企画、発行年:1996年)
- 『水中写真マニュアル(フィールドフォトテクニック)』(著者:小林安雅、発行:東海大学出版会、発行年:1988年)
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