クロキンチャクダイと聞いて、どんな魚かをすぐに想像できるダイバーは少ないでしょう。
絵合わせや魚類分類学に興味のある方は驚かれるかもしれませんが、実はこのクロキンチャクダイ、少ないながら幼魚の観察例はあるものの、成魚が見つかっていない魚なのです。
そんなクロキンチャクダイですが、今回はダイビングショップ様のご協力により、生態写真が手に入り、解説をすることが可能になりました。
謎に包まれたクロキンチャクダイについて、播磨先生に解説していただきます。
クロキンチャクダイDATA
標準和名:クロキンチャクダイ
学名:Chaetodontoplus niger Chan, 1966
分類学的位置:スズキ目キンチャクダイ科キンチャクダイ属
種同定法:D ⅩⅢ,17~19;A Ⅲ,17.
分布:岩礁・サンゴ礁域.小笠原諸島兄島,静岡県富戸,和歌山県切り目,高知県柏島,久米島;中沙群島(マックルズフィールド堆).
(本記事では、『日本産魚類検索』に従った)
クロキンチャクダイの識別方法:
香港の研究者チャン(Chan)氏により、南シナ海、中沙群島のマックルズフィールド堆から採集された2個体の標本から新しいキンチャクダイ科の魚として、1966年に新種登録されている。
論文には、収集された未熟な個体に基づいていると記述されている。
現在も、成魚の情報は不明である。
冨永・安田によるChaetodontoplus属(未発表)(1975年)の改訂版では、クロキンチャクダイが他のキンチャクダイ属の魚と同じ重要な特徴をもたないことを要約で言及しており「Chaetodontoplusから除外されることが提案されている。この種の分類は再考されるべきである。」とされている。
日本国内では、幼魚期と思われる個体のみ確認されている。
『日本産魚類検索』は、新種登録された時のロンドン自然史博物館所蔵の完模式標本をもとに、記載されていると思われる。
現在、日本で見つかっている幼魚期と思われる個体では、体長と体高の比率に完模式標本と差異が見られるが、おおむね特徴に差は見られていない。
ここでは他の同属種と区別して『日本産魚類検索』の記載に沿って記すが、成魚は不明と考えていただきたい。
キンチャクダイ・キヘリキンチャクダイ・アカネキンチャクダイとの見分け方
①腹鰭は白い
②頭部は一様に黒い
今後、成魚が確認されて識別方法が確立する事と、分類学的位置の検討を望む。
幼魚期と思われる個体の生態写真は、神奈川県立生命の星・地球博物館「魚類写真資料データベース」 登録番号KPM-NR 23984・KPM-NR 23985・KPM-NR 64507・KPM-NR 88054で確認できる。
尾鰭の模様に差異がある個体と、稀に背鰭にきいろのフチドリ模様が見られる個体が知られているが、成長段階なのか、個体差のバリエーションタイプなのか、現時点で論議・判断するには、観察された個体数が少なすぎるため、記載するのは不適当と考える。
本種に成魚の観察例はないが、クロキンチャクダイという標準和名が付けられている。
本来、成魚の形態・模様などの情報が得られた段階で標準和名が付けられるのが最も望ましいが、本種名称としてふさわしくない名称の使用がダイビングガイドを中心に見られ、(これはいい傾向とは言えないので)現在所属する属で、現状を鑑みて無理矢理付けた物と推測される。
俗称との混同をさけるために種小名niger(ラテン語で黒)の色表記を日本語にしたものだが、属名に由来するキンチャクダイの名もまた、本来であれば成魚の発見を待って再考されるべきであろう。
英名はブラック・エンゼルフィッシュ(Black angelfish)、ドイツ名の英訳からベルベット・エンジェルフィッシュ(Samtkaiserfisch)と呼ぶ事が確認されているが、出どころは不明瞭であり、通称名が一人歩きしている可能性が高い。ここまでの稀種は、研究者やそれに準じた者たちしか名称を使わないので、世界的に学名を使われる事が普通で正しいだろう。
一部のダイビングガイドが本種をウケグチキンチャクダイと呼んでいるが、ウケグチという名称を本種の特徴と言うのには問題があるだけでなく、綺麗な日本語をなるべく付けていくという標準和名の紳士ルールにも反している。
なるべく早い段階で標準和名に統一すべきと、水族館・博物館学を専門とする筆者としては望まざるを得ない。
ダイバーのための絵合わせ
本種を見る事は、稀だと思われる。
体色全体がくろいろで、腹鰭が白いキンチャクダイの仲間と思われる幼魚であったら、ほぼ本種である。
成魚の体色・模様などの特徴は、謎のままである。
日本国内の幼魚確認地周辺海域で、それらしい未同定のキンチャクダイの仲間の成魚は残念ながら確認されていない。
新種登録された時の採集個体は、マックルズフィールド堆(マックルズフィールドたい)は、マックレスフィールド岩礁群(マックレスフィールドがんしょうぐん、英語: Macclesfield Bank, Macclesfield Shoals)とも呼ばれる場所で、南シナ海に位置する暗礁のみから成る岩礁群である場所である。
(現在は、中国が海洋法条約を無視して領有権を主張して、海洋調査がおこなれていない海域)
海流から考えると、日本沿岸域で発見される幼魚は、このエリアから流れ着いたと考えるのには無理がある。
日本国内に個体数は少なくても、成魚まで成長できて、子孫を残せるだけの生息場所の存在が考えられる。
クロキンチャクダイの観察方法
筆者は見た事がない。
観察した事がある人からの情報で書きたい。
観察時期
成魚は見つかっていない。
幼魚は、南日本太平洋岸では初夏から秋口までの観察例が多いが、ほぼ一年中みつかっているが、発見される個体数は少ない。
完模式標本になっている未熟な個体(体長14cm)も、日本国内では見つかっていない。
生息場所
これまでに発見された幼魚は、水深17mから80mのサンゴ礁外の転石帯・岩場で見つかっている。
最も多いのは、水深40mより深い場所の様である。
生態行動
クロキンチャクダイの生態は、まったくの謎だらけである。
キンチャクダイ科の魚類であるので、性変換をする可能性があり、幼魚期から未熟な個体の変化を考えると、幼魚から成魚となる過程で、体型・模様などの変体が推測される。
また、キンチャクダイ科特有のハーレム行動をするのか、それよりも個体数が少ないので、それ以外の独特の繁殖行動をとるのか、興味が尽きない。
成魚が未確認のため、確定的な情報はない。
この様な事の解明の糸口として、飼育管理下で成長を観察する手法が良いのだが、性変換をする可能性のある魚類の場合は、複数個体での飼育が大前提となる。
幼魚が見つかる水深は通常深く、単独で確認される。
その為、水族館などの研究機関において、採集個体をより自然な状態で飼育成長させようと思っても、複数の個体を同時期に採集・収容するのには、奇跡的な確率の運が無ければ不可能であろう。
水深が深い場所に棲む魚類の健全な状態での飼育は、それだけで高難易度と付け加えさせていただく。
キンチャクダイ属の幼魚は、成魚より浅い水深から観察される事が多い。
クロキンチャクダイが同属と仮定して、同じような特徴を有しているのなら、成魚の生息水深は、幼魚のそれより深い水深となるので、現在発見されている水深80mより深い所に本来の生息水深があるのではと筆者は推測している。
そもそも、完模式標本になっている未熟な個体のサイズが、本当に未成熟ステージなのか。
これも、採集された時代から考えると、疑問が残る。
生殖腺の成熟度合いの検証が行われる必要性を感じる。
そのため完模式標本になっている未熟な個体のサイズが、成魚である可能性が捨てきれない。
残念ながら、完模式標本以降、同サイズのサンプリングも観察も、されたと言う情報はない。
今回、スクーバモンスターズより、関わりのある全国のダイビングショップにクロキンチャクダイの画像提供の依頼をさせていただいたが、その中で、産地・時期が確実で、背鰭にきいろのフチドリ模様が見られる個体の映像のご提供を受けた。
この個体のサイズは目測で全長6〜7cmと、今まで日本国内で見つかっている個体の中では大柄で、成長中と考えられる。



今後の追跡が期待される。
それによって、成長中の情報が解明される事を心より望む。
ご提供いただいた、DIVE FAMILY YELLOW・川坂秀和様、今後の生態撮影を頑張ってくださいませ。
また、メインカットに使わせていただいた、マリンステージ串本店・谷口勝政様撮影の映像にも、背鰭にしろいろの帯が見られる。

これも、今までの情報には見られない。
成長と共に、しろいろ帯が黄化していくのだろうか。
どちらも、幼魚斑からの成長が見られるとするなら、キンチャクダイ科の性変換の特徴で、成長に他個体の影響が見られるとする生態的特徴は、本種では見られるのか、見られないのか、魚類生態学として、とても興味深い。
幼魚が泳ぐ姿がYouTubeで公開されている。
残念ながら、名称は一部のダイビングガイドが使うウケグチキンチャクダイとなっているが、数少ない大事な資料なのでご紹介しておく。
2022年現在は、ダイバー全体の協力で、さらなる生態映像が必要な段階である。
是非、見つけた方は撮影して、神奈川県立生命の星・地球博物館「魚類写真資料データベース」に登録をしていただきたい。
観察方法
観察が報告されているダイビングスポットでも、非常に稀に見られる、稀種である。
過去の情報では東伊豆の富戸で、水深17mで観察された例が一例あるが、それ以外はすべて生息水深が40m前後である。
この水深はレジャーダイビングで行く事ができる場所とは言い難い。
この水深で正確に行動できるスキルは、ダイビングのライセンス講習以外に、元々の体質的な適正があると言わざるを得ない。
観察の注意点
通常の観察場所は、減圧症のリスクが増大し、重度の窒素酔いの可能性も高くなり、さらには、それらの対処にも対応できる空気、またはミックスガス、酸素が必要になる。
リブリーザの使用も検討する必要があるだろう。
これらの準備ができて、適切なスキルを見つけた者のみ訪れることが可能な世界である。
奇跡的な例であるが、水深17mで見つかった例があるので、その様なビックチャンスがおとずれたときは、観察できるうちに現地に行く事を強くお勧めする。
観察ができるダイビングポイント
過去に観察された場所をまとめる。
- 小笠原諸島兄島
- 静岡県東伊豆
- 伊東
- 富戸
- 静岡県西伊豆
- 大瀬崎
- 和歌山県
- 切り目
- 串本
- 高知県柏島
- 沖縄県
- 沖縄本島
- 久米島
生態を撮影するには
クロキンチャクダイは通常深い水深にいるので、撮影時間が限られる上に、よく泳ぐ魚であるために、撮影は容易ではないだろう。
超が付く稀種なので、まずはおどろかさない距離感を保って、証明写真から撮影をした方が良い。
距離を保てば警戒されないので、コンパクトデシタルカメラでオートフォーカスを使って、十分に撮影できるだろう。
今回は、当時P&A専門学校に在学中であった元教え子の証拠写真を本人の好意で掲載させていだたく。

使用カメラは、TG-5である。
水深は44mであった。
この水深で、落ち着いて証明写真が撮れれば十分で、周りの生息環境がよくわかるカットは貴重である。
この時にすでに元教え子は、某指導団体のダイブマスターレベルの認定を受けていて、同行バディも、この様なテクニカルなダイビングを身に着けたダイビングインストラクターだった事を付け加えておく。
この様な撮影ができたなら、今度は画面一杯になるサイズで標本写真を撮ることを心がける。
その場合、はじめに通常の露出で撮影し、その次にストロボ光+補正をして、目が解る程度オーバーめに撮影をする事をお勧めする。
元教え子が撮影した水深でこれら全ての撮影を行うことは、一度の帯底時間では到底不可能なので、残留窒素の問題を考えながら、複数日に分けて複数回チャレンジする必要がある。
今回、DIVE FAMILY YELLOW・川坂氏、マリンステージ串本店・谷口氏に提供してもらった本稿映像は、すべてその様なご苦労をして撮影をしたものと思われる。
この場を持って、深く感謝と敬意を持ってお礼をさせていただきたい。
写真提供:DIVE FAMILY YELLOW・川坂秀和、マリンステージ串本店・谷口勝政
参考文献
- 『日本産魚類検索 全種の同定』(著者:中坊徹次、発行:東海大学出版会、発行年:2013年第3版)
- 『日本産魚名大辞典』(編集:日本魚類学会、発行:三省堂、発行年:1981年)
- 『日本の海水魚』(著者:大方洋二・小林安雅・矢野維幾・岡田孝夫・田口哲・吉野雄輔、編集:岡村収・尼岡邦夫、発行:山と渓谷社、発行年:1997年第3版)
- 『新版魚の分類の図鑑』(著者:上野 輝弥・坂本 一男、発行:東海大学出版会、発行年:2005年新版)
- 『新版 日本のハゼ』(解説:鈴木寿之・渋川浩一、写真:矢野維幾、監修:瀬能宏、発行:平凡社、発行年:2004年)
- 神奈川県立生命の星・地球博物館「魚類写真資料データベース」
- Chaetodontoplus niger Chan, 1966|GBIF
- Chaetodontoplus niger Chan, 1966|WoRMS
- Chaetodontoplus niger Chan, 1966|ロンドン自然史博物館
- Chaetodontoplus niger|meerwasser-lexikon.de
- 日置勝三.1992.日本産キンチャクダイ科魚類の繁殖生態と雌雄性に関する研究
- 安田富士郎.1967.キンチャクダイ幼魚における体色斑紋変化の観察
- ウケクチキンチャクダイ@柏島(YouTube)
- 『デジタルカメラによる 水中撮影テクニック』(著者:峯水亮、発行:誠文堂新光社、発行年:2013年)
- 『うまく撮るコツをズバリ教える 水中写真 虎の巻』(著者:白鳥岳朋、発行:マリン企画、発行年:1996年)
- 『水中写真マニュアル(フィールドフォトテクニック)』(著者:小林安雅、発行:東海大学出版会、発行年:1988年)