【吉野雄輔インタビュー:後編】生物多様性って何だろう?〜事実であり偶然の結果〜
近年、生物多様性という言葉を耳にすることが増えてきました。
「様々な生物が地球上で暮らしていける方がいいよね」ということは、何となく分かる。
でも、なんで……?
ということで、これまで数々の書籍を生み出してきた海洋写真家・吉野雄輔さんに、疑問をそのままぶつけてみました。
海の生物をこよなく愛する雄輔さんならではの視点で飛び出す、“眼からウロコ”の生物多様性の捉え方。
ぜひ皆さんも、一度思いを巡らせてみてはいかがでしょうか?
吉野雄輔PROFILE
海洋写真家。1954年、東京生まれ。ダイナミックな水中景観から小さな生き物まで、世界中の海で40年以上撮影を続けている。写真集、図鑑、写真絵本などの著書多数。他に、雑誌、新聞、広告など、その活動の場は多岐に渡る。
すべては“たまたま”
「マンボウが三億個の卵を産む」とか「イシモチの仲間は口内保育で数百育てる」とか、自然界の生物の生き様ってばらばらだよね。
それぞれに違うけれども、そこに筋が通るような理屈や解釈を見つけることはできる。
それも事実なんだろうけれど、俺たちはこの理屈や解釈がすべてと思いすぎる気がするんだ。
いろんな生き物が、目的を持って、また、確信を持って変化するわけでもないし、変われるわけでもない。
とりあえず周りの天敵とか状況とかに影響されながら、今の生態が出来上がってきたんじゃないかな?
進化の肝は適応だろう?
でも、適応って言ったって、すべての生物にはできる範囲があるんだよ。
『理不尽な進化』(筑摩書房)に、分かりやすい例として新宿駅が出ていた。
新宿駅は、いろんな線が乗り入れて、便利に進化していった。
でも、気がつくと、ホームが地下だったり、通路が張り巡らされていて……、田舎もんの俺には難解すぎて分からない〜〜って、不便に感じるわけ。
なぜか?
たまたま周りはすべて利用されていて、とりあえずこれしかできないというような制約の中で進化してきたからだと思う。
こういった制約が、生き物にもあるのと一緒かな。
ゼロから作り直す訳にいかないのも、人造物でも生き物でも似てるよね。
人間の目も肺も肝臓も腎臓も2個あるのに、肝心の心臓は1個じゃんか〜〜。
すぐに心臓2個にならないもん。(笑)
話を戻すと、生物多様性っていうのは、結果なんだと思うんだよ。
こうして地球で生き残ってきたものが、事実として多様であるってことだね。
これまで最も環境に適応していたものが、絶滅することだってある訳だ。
生きるってことはさ、常に“ゲームチェンジの可能性”に晒されているんだよ。
カメラマンの俺を例にとると、生きてる途中に、フイルムカメラからデジタルカメラへという、ゲームチェンジがあった。
目的が変わったわけではないけど、技術的にはだいぶ変わった。
今まで大切だったはずの技術の中で、あんまり価値のないものも現れた。
デジタル育ちの人と、価値観が違う部分あるだろうな。
だから俺、絶滅危惧種〜〜。(笑)
物の本には、今まで地球上に生まれた生物の99.9%が絶滅していると書いてあったよ。
とにかくほとんどが絶滅している。
今残っている生き物は、ほんの少しなわけ。
けど、子孫をたくさん産む生物も少し産む生物も、どっちも生き残っている。
まったく逆の戦略じゃない?
どっちが有利というわけじゃなく、その両方が生き残っているってことが、多様であるってことなんじゃないかな?
そう、たまたまその生物が持っていた生態が、たまたま環境にマッチして、たまたま運で生き残っているにすぎないんじゃないかな?
2021年には、『どうしてそうなった!?海の生き物』っていうシリーズの子ども向けの本を3冊出したよ。
色・形・暮らし、それぞれにテーマを分けて、どんな環境にもそこに適応して生きている生き物がいることを写真を添えて書いていった。
題の「どうして」に答えなきゃいけないから、こんな理由でと書くわけ。
ただ、こんな風に言われているけど、どう思う?っていう書き方をしている。
きっと理由があるとすれば、複数の要素があるんだろうし、疑問を持ってくれたらいいなと思って。嘘くせ〜でもいいから。
「どうしてそうなった!? 海の生き物」シリーズとは
海の多様な世界が体感できる、全3巻の写真絵本のシリーズ。「色」「形」「暮らし」、3つのテーマごとに海に生息している生き物を取り上げている。
例えば色って、生物によって見え方が違うんだよ。
人間には黄色に見えていたとしても、他の生物は全く違う色を感じているかもしれない。
人間には聞こえない超音波をイルカが聞けるのと一緒で、みんな違う世界の見え方をしてるんだろうね〜。
そうやって、不思議なことに子どもたちが触れることで、色んなことに興味を持ってくれたら良いなぁと思う。
住んでる場所もそう。
シロクマは何でこんなに寒いところで生活するんだろう?
人間なんかあんなところじゃ住めないだろ。
じゃあきっと大きな敵が来ないからかな?とか。。
本を作りながら、改めて生物の多様性を思ったよ。
何十億年の生物の進化の歴史のすごさを感じるよね。
所詮、俺たち人類なんて長く見積もっても700万年くらいの年季だから。
地球上にある多様な環境の中で、たくさんの種類の多様な生物が生き残ってきた。
でも、何回も起こった、生物の大量絶滅を教えられると、結局運か〜〜なんて思うよね。強そうな恐竜だって、星の衝突で絶滅したって言われてるんだから。
海だけじゃなくてさ、昆虫の世界だってそう。
昆虫なんか似たようなものが無限にいるんじゃないかってくらい種類がいるよね。
数の推定さえ難しいというから驚く。
適応っていうのは、少しずつしていくし、いつブツっと切れるか分からない。
まったく別の戦略をとるものもいるし、どれが功を奏するかは分からない。
ゴキブリもさ、2億年やら3億年やら生き残ってきたと言われている。
カブトガニもヒトデも何億年。自分の感覚では、想像さえできない長さだよね。
自然保護って言うけど、どっかに生き残るやつっていうのはいるんだよ、きっと。
だから保護って言葉より、俺には自然崇拝の原始的な宗教みたいな方が、納得いくな〜〜。
日本とかインドとか、神様沢山いるもんな。
人間だってそうだろ。小さな違いだけど、多様だよね。
コロナのワクチンだって、打つやつ、打たないやつが自然にバラバラになるワケよ。
打ったやつが生き残るか、打たないやつが生き残るかは今の段階じゃ分からないよな。
いろんな考えや性格の人がいるから、全滅しないんじゃないかな。
冒険家は、新しいことを切り開くけど、臆病者の方が生き残りやすいし。
要は、生物多様性の中身っていうのは、生き方のバラバラさだよ。
生き方とか生き様の違いで生き残るやつが出てくる。
『働かないアリに意義がある』(山と渓谷社)って本があったけど、一見無駄なものにも意味があるってことで、無駄と捉えるか、余裕と捉えるかだよね。
なんか言い訳に使えそうだな〜。(笑)
そして、たくさんの生き方をしているものが、同時に生き残ってきたという事実がある。
だから、生物の多様性を大事にしながら、「みんなで生きていく」ってことなんだろうと思うよ。
互いに複雑に利用しあったり、助け合ったりしてるからね。
植物なかったら、生きていけないじゃん〜って感じかな。
ほら、映画「アバター」にも、エイワっていうネットワークが出てきたでしょ?(笑)
精子が卵子の中に侵入するのは、元はウイルスの能力なんだそうだから、俺たちには計り知れない仕組みなんだろうな。
だから複雑なネットワークを壊すなって、世界の研究者が警告してるんだろうね。
最後に
事実として、多様な生き様の生物が、同時に生き残ってきたということ。
そして、それぞれの生き様に優劣はなく、たまたま運で生き残ってきたにすぎないんじゃないかーー。
だからこそ、生物の多様性を大事にしながら、みんなで生きていく。
今回、雄輔さんにお話しを伺って、「生物多様性」の意味を“分かったつもり”になっていたことに気づかされました。
雄輔さんの言葉には一歩踏み込んで考えるためのヒントがたくさんあります。
ぜひ、みなさんも今一度、生物多様性について考えてみてくださいね。
雄輔さん、ありがとうございました。
前編はこちら↓
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