シロワニが出現した場所
シロワニの出現時期(過去1年間)
シロワニについて
迫力ある姿の大型サメ、シロワニ。
絶滅の危機に瀕している地域もあると言われるサメですが、小笠原諸島の父島では、ダイビング中に観察することができます。
実は、世界的に見てもシロワニがコンスタントに見られるのは、小笠原諸島父島だけでしょう。
今回は、そんなシロワニの置かれている現状から、現在分かっている生態や行われている調査研究、また、観察の注意点まで解説します。
シロワニDATA
標準和名:シロワニ
※英名:Sand tiger(サンドタイガー)
学名:Carcharias taurus
分類学的位置:ネズミザメ目オオワニザメ科シロワニ属
分布:ボートや稀に人も襲う.湾内の砕波帯、サンゴ礁や岩礁付近~水深200mまで:伊豆諸島,小笠原諸島,相模湾~九州南岸の太平洋沿岸,琉球列島;黄海,中国東シナ海沿岸,台湾,中央・東を除く全世界の熱帯~温帯域
シロワニの識別方法:
日本国内で観察されている、シロワニ属は、現在、シロワニのみで、一番の近縁種は、オオワニザメ科オオワニザメ属オオワニザメである。2パターンの違いを提唱している。
① 第1背鰭は、胸鰭より腹鰭に近い。
② 歯は主尖頭の両側に1個の側尖頭をもつ。(オオワニザメは、両側に2個)
(本記事では、『日本産魚類検索』に従った)
シロワニは、環境省が定めるレッドリストでは絶滅危惧種IB類に指定されている。
繁殖に国内で成功しているのは、アクアワールド茨城県大洗水族館だけで、世界的に見ても数例しか存在しない。
繁殖に向けた取り組みとして、マリンワールド海の中道、京急油壺マリンパーク、アクアワールド大洗、東海大学海洋科学博物館、横浜八景島シーパラダイス、しながわ水族館のシロワニ飼育を行う水族館6館が積極的な飼育情報共有を目指したシロワニ繫殖協議会が2015年に設立された。2019年に登別マリンパークニクスが加盟し7館で情報共有している。
世界的なサメの研究家で、現在は東海大学客員教授の田中彰先生を調査隊長として、小笠原諸島での野生個体写真識別調査・生態調査を行っている。
ダイバーのための絵合わせ
『日本産魚類検索』では、「ボートや稀に人も襲う」としているが、今の考え方からすると、筆者は古い考え方によると感じる。
日本において、ダイビング・スキンダイビング・スノーケリングで観察できる場所は小笠原諸島のみであり、いくつかの注意点を守れば、その様な事故は皆無の様に思う。
野生個体の調査が進めば、保護と観光のバランスのとれた観察ルールが構築され、どちらにも安全に観察できる、保護区のモデルになるだろうと期待できる。
一番の近縁種オオワニザメは、大陸棚周辺に生息しているので、まず、ダイビング中に出逢う事はなく、このサメの仲間固有のシルエットだけで、シロワニと判断してもかまわないレベルであろう。
シロワニの観察方法
シロワニをダイビング・スキンダイビング・スノーケリングはもちろん、港の防波堤から観察できる場所は、世界中を見ても、小笠原諸島の父島だけである。
最近は、環境保護の気運の高まりとともに、観察される個体が増えていると聞く。
今後は、観察する側の人間という生物のモラルが問われる時代に入ったと筆者は思う。
一番の問題は、スポーツフィッシングのターゲットでもある点である。
日本では、怪魚ハンターと言われる部類の釣り師達は、十分に気を付けてほしい。
他の魚類が狙いでも、世界的に稀な絶滅危惧種IB類の生物の生息域だと言う事を忘れないでほしい。
実際に、釣り針・釣り糸やルアーが口にぶら下がったままの個体が撮影されている。
これからは、釣り禁止になる前に、十分に自分の行動に気を付けていただきたいものだ。
観察時期
小笠原村観光局HP内の記事では、冬季が観察のチャンスと書かれている。
今後は、生態調査が進めば、見られる季節、場所ともに増え、それぞれの生態的瞬間を観察できるツアーに進歩していくと思われ、期待している。
生息場所
観察シーズンには、夜間に港内でも、観察されている。
生態行動
シロワニの生態は、一般的に下記の様に言われている。
違和感や現在の最新情報は、()で付け加えたい。
卵胎生で、胎児は自分より小さい胎児や未受精卵を食べて9~12カ月の妊娠期間の間、母親の胎内で成長を続ける。
1対の子宮のそれぞれから1尾、計2尾の胎児が出産される。
ある調査中の研究者が胎児に咬まれたという記録がある。
(シロワニが、胎児同士で、生存競争で弱い個体が食べられて、一個体だけ産まれると良くネット・テレビ番組で解説しているのを聞くが、何処にその裏付けの研究があるのだろうか。今回も調べてみたが、発見できていない。)
泳ぎは緩慢だが、強い遊泳力をもち、夜行性である。
捕食や配偶、出産のために20~80尾からなる群れをつくるとされる。
(この様な大きな群れは、小笠原で観察されたのを聞いてない。)
高い回遊性をもつものもおり、夏季にはより水温の低い環境へ移動する。
(小笠原の個体は、高い回遊性を持っているとは、言い難い研究結果になってきていると漏れ聞いている。水温が低い環境へ移動と、言い切るのには、研究が足りていない印象である。)
多くのサメは遊泳する水深を保つのに、尾鰭(ビレ)の推進力と胸鰭(ビレ)の操縦作用を駆使して泳ぎ続けたり、肝臓に含まれる肝油で浮力を得たりすることでこの問題を解決しているが、シロワニは水面で空気を飲み込んで胃を膨らませ、中性浮力を得ることが知られている。
IUCNのレッドリストでは、危機的な状態である【critically endangered】とされており、多くの個体群が激減している。オーストラリアのニューサウスウェールズでは、スポーツフィッシングや水産業で大量に捕獲され、深刻な危機的状態にある。
(オーストラリアのフィッシュ&チップスで使われるのは、サメの肉で、日本同様、古くから全身を無駄なく使う食文化が定着している。近年の経済レベルを元に、中国へのフカヒレ需要の高騰で、それ目当ての乱獲の密猟者も入り始め、その為に、漁業規制を開始したと聞く)
(他のサメに比べて)飼育がしやすく、多くの水族館でみることができ、南アフリカやオーストラリアではダイビングエコツーリズムに重要な存在である。
(水族館飼育用の個体は、海外から輸入された個体が多いが、各国、希少動物の保護の観点から、条約・法律によってコントロールを始めている。現在、新規に水族館開発を乱立させているのは、経済成長をとげた、中国・中東諸国である。しかし、現在の飼育物を大切にするという姿勢からかけ離れている点が見受けられ、各国が輸出許可を出さなくなってきている。環境省が定めるレッドリストに載る事により、日本も、保護と適切な利用に乗りだしたと言えよう。)
(南アフリカやオーストラリアではダイビングエコツーリズムは、シロワニではなく、シャークゲージダイビングと勘違いをしているのでは?)
基本的にはその風貌に似合わずおとなしいが、近づきすぎると咬まれることがある。
(筆者もこの記載に賛成で、「ボートや稀に人も襲う」では、無いと考察したい。)
観察の注意点
必ず、現地サービスの開催するツアーに参加しよう。
知識のないままに、一緒に泳ぐような無謀な行動はやめよう。
『日本産魚類検索』の「ボートや稀に人も襲う」は、その様な人への警告かもしれない。
本種は、基本的におとなしいのだが、観察に必要な行動を書きたいと思う。
シロワニは夜行性のため、夜間に餌を探す。
その時間帯に潜りそばによることは、捕食物と勘違いをされても仕方ない。
また、昼間は、睡眠の時間にあたり、のんびりとした状態だ。
その時に、必要に刺激を与えられると、攻撃されたと考えて防衛行動に入り、咬まれても仕方ないだろう。
サメ観察の際には、出血している場合はもちろん、尿の匂いも厳禁だ。
水面で、大きな水の音をたてる事も厳禁である。
観察ができるダイビングポイント
小笠原諸島
生態を撮影するには
シロワニを撮影するだけなら、コンパクトデシタルカメラに、セミフィッシュアイ・フィッシュアイのワイドコンバージョンレンズを取り付けて、水中広角モードの設定があればそのまま、無ければ、Aモード(絞り優先)を選択して撮影をすれば、青い海に浮かぶシロワニが撮影できる。
発色を出すなら、外付け水中ストロボが必要で、ストロボの効く撮影距離に入って撮影する必要がある。
現在のデシタルカメラの性能なら、AFのピント合わせで、十分撮影できる被写体であろう。
参考文献
- 『日本産魚類検索 全種の同定』(著者:中坊徹次、発行:東海大学出版会、発行年:2013年第3版)
- 『日本産魚名大辞典』(編集:日本魚類学会、発行:三省堂、発行年:1981年)
- 『日本の海水魚』(著者:大方洋二・小林安雅・矢野維幾・岡田孝夫・田口哲・吉野雄輔、編集:岡村収・尼岡邦夫、発行:山と渓谷社、発行年:1997年第3版)
- 『新版魚の分類の図鑑』(著者:上野 輝弥・坂本 一男、発行:東海大学出版会、発行年:2005年新版)
- 『フィッシュ・ウォッチング』(著者:林 公義・小林 安雅・西村 周、発行:東海大学出版会、発行年:1986年)
- 神奈川県立生命の星・地球博物館「魚類写真資料データベース」
- NHKダーウィンが来た!「小笠原で大追跡!港に群れる謎の巨大ザメ」
- 『デジタルカメラによる 水中撮影テクニック』(著者:峯水亮、発行:誠文堂新光社、発行年:2013年)
- 『うまく撮るコツをズバリ教える 水中写真 虎の巻』(著者:白鳥岳朋、発行:マリン企画、発行年:1996年)
- 『水中写真マニュアル(フィールドフォトテクニック)』(著者:小林安雅、発行:東海大学出版会、発行年:1988年)