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でっち日記~石垣島より①~

海のレポート

今から約2年前の夏。

石垣島に東京(羽田・成田)と関空から直行便が通るようになった新石垣空港が出来た年に、僕は石垣島にあるとあるダイビングショップさんへと「でっち」する事になりました。

 

僕が「でっち」する事になったきっかけは、大学生活を何となく惰性的に過ごしてしまっている気がして嫌で、何か自分が打ち込めるモノを探していたのだと思います。

そんな折、ダイビングサークルの先輩から「でっち」に関する情報を入手。

過去に「でっち」していた先輩も、みんな楽しそうにその当時の経験を語っていた事から僕も「でっち」する事を決めました。

選んだ先は石垣島。

世界でも屈指のダイビングスポットの一つで、世界中のダイバー憧れのダイビングポイントベスト3に入るほど豊富な生物やサンゴ達。

あの海神・マンタと出会える事でも有名で、夏は多くの観光客とダイバー達で賑わいます。

 

ただ、当時の僕は、ダイビングのライセンスはアドバンスを取り立てで、経験本数も10本ちょっと。

僕の技術では、海の中で自分の安全管理をする事にも不安が残るほどでした。

 

いざ、石垣島へ来たものの、最初の頃は、要領もわからずエントリーする際に1人だけ準備が遅く船に取り残される事もしばしば。

海の中でアシスタントをしようとしても、お客さんの前で砂を巻き上げてしまう事もあり、当然オーナーからはよく叱られました。

 

「でっち」中の雑用内容は多岐に渡ります。

器材やタンクの準備、セッティングはもちろんの事、海中でのアシスタントやみんなのご飯の準備まで。

石垣ではボートダイビングであったため、船上での作業もたくさんありました。

 

1日の流れは、基本的に朝6時には集合していて、最後お客さんのログ付けが終わるのが夕方5時を回ります。

そこから、次の日の準備やブログの更新、明日のお昼ご飯の準備(時には10人分以上!)などを済ませたら解散しますので、予約状況次第では夜遅くまでかかる事も!

 

僕は1日が終わったら、すぐ寝る生活。

あいつはちゃんと飯を食ってるのか?とよく心配されてました。笑

 

ちなみに夏の石垣はハイシーズンなので、台風が来た時以外はほぼ休みはありませんでした。

人間、環境変わればなんとかなります。笑

 

そんな僕の「でっち」生活もすぐに終わりが来ます。

約1ヶ月半にも渡ってお世話になったショップ先では、最終的に色々と任せてもらえるまでになり、オーナーからはお酒の席で

「ほんとにダイビング上手くなったな。来年は飛行機代とバイト代出してやるからまた来いよ」

とまで言ってもらえるようになりました。

 

また、お客さんから感謝の手紙を頂いた事もありました。(僕はこれがきっかけでダイビングが本当に好きになりました。)

 

本当に忙しい毎日の中、あいつがもうすぐ帰るからと夜船を出してくれスタッフだけでナイトダイビングをしたり、時間を作って観光地を巡ってくれたり、飲みに連れて行ってくれたり。

たくさん叱られましたが、大事にされていたのだなぁと今思い出しても泣きそうになる時があるほどです。笑

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「でっち」の言葉の由来は、丁稚奉公の事だそうですが、「でっち」とはある期間、家族の一人として迎えてもらうような体験だと思っています。

当然、そこにはいろんな人がいて、僕らは受け入れてくれたショップ先に貢献していく必要があります。

ただ、僕が最後の最後に気付いた事を紹介させてもらうと、「でっち」では対価としてお金は得る事は出来ませんが、結局それ以上に多くのものを受け取っていた事に気付きます。

 

それは「経験」であったり、「人のあたたかさ」であったり、「成長」であったり。

お金という目に見える対価がない分、その経験を通して得た、たくさんの「目に見えない価値」の存在に気付いたりします。

そしてそれは、島生活という非日常の空間に身を置く事によって感じられる部分でもあったりするのです。

 

今しか出来ない「でっち」体験。

もし少しでも興味があったら、勇気を出して飛び込んでしまうとまたとない経験が出来ますよ!


この日記を書いた人

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ぱんちゃん(外山 裕一朗)

細谷 拓

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合同会社すぐもぐ代表社員CEO。 学生時代、大瀬崎でのでっちをきっかけにダイビングにドはまり。 4年間で800本以上潜り、インストラクターを取得。 静岡県三...

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